こんにちは、120yennoriと申します。
材料の研究者としての成功を目指していて、日々の仕事に嫌気がさすことってありませんか?
こんなの何の役に立つんだよ!
実験しても成果出ない!
論文調査も楽しくない!
実は、そんな時に試したほうがいいのが、「装置いじり」です。
材料を合成する装置、分析する装置など、装置に寄り添うことで、独創的なアイデアや解決の糸口が見えてくるのです。
青色発光ダイオードを発明してノーベル賞を受賞した「中村修二」さんも、次世代の炭素素材カーボンナノチューブを発見した「飯島澄夫」さんも、今や世界的な大企業となった京セラの創始者「稲盛和夫」さんも、装置をいじって偉業を成し遂げた方たちです。
この記事では、それぞれの偉業について紹介します。
中村修二/青色発光ダイオードの発明、自分のノウハウの詰まった装置に改造
中村修二さんは青色発光ダイオードの発明によって、2014年のノーベル物理学賞を受賞しました。
発光ダイオードは、電気を熱に変換することなく直接光を生み出すことができるため、従来の電球よりも長寿命になります。
また、「青色発光ダイオード」の発明によって、光の三原色(赤・緑・青)が揃うことに繋がり、大型でフルカラーのディスプレイなど用途が格段に広がりました。
青色発光ダイオードの発明は、いかに欠陥のないきれいな結晶膜ができるかどうかにかかっていました。
中村さんは、当時有力とされていたセレン化亜鉛ではなく、あえて周りからも絶対にできないと言われていた窒化ガリウムを選択しました。
来る日も来る日も、装置の改造と実験を繰り返し、なぜうまくできないのか考え抜いて、自分のノウハウが詰まった装置を駆使することで、ついに窒化ガリウムのきれいな結晶膜を作ることに成功しました。
徳島の中小企業で十分な環境も整っておらず、周りからも絶対にできないと言われながら、かといって人と同じことをしても誰も見向きもしてくれないという状況で、ほとんどヤケクソになっており、社内でも口を利かなくなり、変人扱いだったそうです。
このような素晴らしい発明ですが、決して最先端の設備を導入したり、世界中の文献を参考にするなどではありませんでした。
中村修二さんの自分のノウハウの詰まった装置に改造した結果が素晴らしい成果につながったのだと思います。
参考:中村修二「考える力、やり抜く力、私の方法」三笠書房
飯島澄夫/カーボンナノチューブの発見、みんなが騒いでいるところへ行かない。別なところへ行けばいい。
飯島澄夫さんは、1991年に世界で初めてカーボンナノチューブを発見しました。
カーボンナノチューブは炭素原子がチューブ状につながった物質で、次世代の材料として様々な用途開発がされています。
特に、アルミニウムの半分ほどの軽さで鉄の20倍の強度を持つことから、将来宇宙エレベータのロープに使えるのではないかともいわれています。
他にも優れた電気伝導性や大きな表面積を持ち、電池材料としても期待されています。
カーボンナノチューブの発見のきっかけは、飯島さんが大学院時代から関わっていた電子顕微鏡の研究開発でした。
1990年にフラーレンの量産方法が発表されました。
フラーレンとは、炭素原子がサッカーボール状につながった物質です。
周りはフラーレンを作製する実験や観察をしていました。
しかし、飯島さんは合成されたフラーレンではなく、合成する際に使っていた電極に興味を持ち観察しました。
その結果、今まで見たことのないファイバー状のカーボンを発見しました。
「みんなが騒いでいるところへ行かない。別なところへ行けばいい。」という飯島さんの研究哲学がカーボンナノチューブの発見へとつながりました。
参考:篠原久典. “ナノカーボンを追って”. Mol. Sci. 1, A0008 (2007)
稲盛和夫/セラミックス製品を次々開発、窯の近くで「抱いて寝る」ことも
稲盛和夫さんは、今や大企業の京セラの創始者として知られていますが、結核を患ったり、中学や大学受験に失敗、就職先もうまく決まらないなど若くして多くの苦労を経験していました。
その後なんとか就職した後も、赤字経営で、給料も遅れ、同期も次々去っていくというブラック企業でした。
稲盛さんも、一度見切りをつけ自衛隊に応募しましたが、兄の強い反対もありブラック企業にとどまることになりました。
退路を断たれた後は、覚悟を決めて全力で研究開発に取り組みました。
その甲斐もあってか、「フォルステライト」と呼ばれる材料の開発に日本で初めて成功し、テレビのブラウン管の絶縁部品に使われるようになっていきました。
その後、独立した後も、数々のセラミック製品を開発していきました。
新しい会社ということで、人と同じことをやっていては注文を取れず、当時のセラミック業界でできないと言われたものをできると言って注文を取っていたそうです。
水冷複巻蛇管と呼ばれる大きな管の中を小さな冷却管が通るといった複雑な製品もできると言ってしまい大変苦労したそうです。
粘土で成形した後に、ひびが入らないように窯の近くで「抱いて寝る」ことで、ゆっくりと型崩れを防ぎながら乾燥させることもあったそうです。
また、セラミックスの板を焼成する際にスルメのように反ってしまう問題が多発した際も、四六時中炉のそばで過ごし、解決の糸口を見出したそうです。
まとめ
以上、大きな成功を収めた材料の研究者、中村修二・飯島澄夫・稲盛和夫の成功の共通点といえば、ずばり「装置に寄り添うこと」といえます。
装置に寄り添うことで独創的なアイデアや解決の糸口が見えてくるのです。
あなたも、材料の実験や論文調査にいくら時間を費やしても、いまいち成果出ないし楽しくないと思うことはありませんか。
そんな時はぜひ、視野を広げて装置をいじったり改造してみてはいかがでしょうか。
仕事がうまくいかないときは、働く環境があってないのかもしれません。
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